三﨑晃太郎さんは、2023年入社の新入社員。中途入社がほとんどの飯尾醸造で唯一の新卒入社というレアな人です。神戸で生まれ育ったという彼ですが、飯尾醸造との接点は「3歳か4歳の頃から。毎年家族旅行で宮津に来る際には母親に連れられ、飯尾醸造を訪れ蔵を見学していました」と言います。というのも、三﨑さんのお母さんが食への意識が高く、普段から富士酢を愛用し、料理に使われていたのだとか。
三﨑晃太郎さん
また、三﨑さんの興味深いところが中学3年生の時に東京の「自由学園」という一貫校に入学したことです。 三﨑さん曰く「公立の学校だと決められた行事とか流れに沿って勉強するのが一般的ですが、自由学園は24時間の生活全てが学びという教育理念を掲げています。『生徒も主体的に関わってみんなで学校を作り上げて行きましょう』という学校で、行事やイベントを生徒が引っ張っていきます。先生も意見を出したりはするのですが、基本的には生徒主体でやっていきます。先生と生徒のリーダーで会議をして、また生徒のところに持ち帰って決めていくという学校でした」。
入学を決めたきっかけは、中学3年生でのカリキュラムに「豚を育てる」授業がありそこに惹かれて入学を決めたそうです。「家から出て外で勉強したいなっていうのはすごくありました」と三﨑さん。
さらに高校2年の時。理科の自由研究のテーマに、家庭で親しんでいた「飯尾醸造のお酢造り」を選んだのだそうです。自らメールを送り、現会長にみっちりついていただいて蔵見学をしたのだと。
「お酢がどうやって造られているかも知らなかったですし、原料が米っていうことすらも知らない状態でした。記憶に残るのはやはり会長の飯尾醸造やお酢に対する熱意がすごかった」という三﨑さん、将来の就職先として意識するようになったと言います。
そして大学3年のインターンシップで酒造りや酢造り、製造ラインなどを経験し、4年生の時には米作りに触れるため再び 飯尾醸造を訪れました。他にも酒蔵や農業法人のインターンシップにも参加されたそうですが、飯尾醸造の蔵人と接する中で「皆明るく優しい方達ばかりで、社風も良くこの人たちと一緒に働きたいなという思いがその時芽生えたことが入社する一つのきっかけになりました」と言います。
現在は富士酢を造る方になられましたが、「三﨑さんにとっての富士酢」について伺いました。
「僕の中で富士酢はただの調味料ではありません。食べることがすごく好きで、旅行も大好きな僕は、旅先ではその土地のものを食べに行くようにしています。富士酢の生産者仲間や取引先にも行きます。それは富士酢を通して食に対しての意識が芽生えたからです。今は『食=楽しい、ワクワク』することになっているのですが、富士酢がなかったら、まず食に対して興味を持たなかったかもしれません。普段の食事はただ自分が生きるために必要なものになっていたと思います。そこに楽しさはなかったのかもしれないです」
さらに、こう付け加えます。
「それから、実は僕の父は、母と結婚する前は酢の物を一切食べなかったんです。でも富士酢を使った料理を母が作ってくれるようになってから、酢の物を食べるようになったんです。だからお酢が嫌いな人でもうちのお酢に出会ったら変わるかもしれません」
「富士酢が自分の人生に大きな影響を与えてくれていて、ベクトルが良い方向に向いていると思います。飯尾醸造や従業員、携わってくださっている方には本当に感謝しています。飯尾醸造があったから、今すごく楽しいです」と語る三﨑さん。この思いをここ飯尾醸造できっと熟成させていってくれるでしょう。
(聞き手:京近 淳 撮影:中井 由紀)