故郷ポルトガルで描いた夢を、宮津で叶えた料理人
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故郷ポルトガルで描いた夢を、宮津で叶えた料理人

リカルド・コモリさん、ミオさんご夫妻 / 西入る 料理人

飯尾醸造のお酢との出会い。それは時に、人生を変えるほどの出会いにもなります。本インタビューシリーズでは、私どものお酢と繋がり合う皆さまにお話をお伺いしています。

2022年に宮津藩の城下町新浜にオープンした鮨割烹「西入る」。カウンター6席の小さなお店ですが、料理人の想いが詰まった名店として静かな人気です。営むのはポルトガル人の料理人、リカルドさんと日本人の奥様、ミオさん夫妻です。「子どもの頃から料理が好きだった」というリカルドさんは13歳から家庭での料理をはじめ、19歳には料理人を目指しました。故郷のポルトガルで、ポルトガル料理やフランス料理を学ぶ調理師学校に通い、研修を通じて寿司屋に入ったのでした。そこでカウンターで対面で調理接客をするスタイルに驚くとともにとても惹かれたのだそうです。しかしそのお店で提供されていたのは、出汁を使わず、生魚を扱うだけの西洋風の日本料理でした。

料理人のリカルド・コモリさん

その後、お店で出会ったミオさんとの結婚を機に、日本へ旅行するようになり本物の日本料理を学びたいと思うようになったリカルドさん。しかしポルトガルではそれは叶わないと考えて2015年に日本へ。
東京の調理師協会に所属して、関東の旅館、数件に派遣されるようになったといいます。しかし「旅館では調理場に入ったままという仕事が多かった」そう。

そこで、憧れだったカウンターでの接客ができる店を探すことに。東京で鮨屋、割烹料理そして懐石料理の店で2年半修行を積みました。「そこで京料理と出会い、京の食材に触れ、大きな影響を受けた」と言います。そうして「修行の仕上げを京都でしたい」と思ったそうです。しかし世はコロナ禍となっていてなかなか店が決まらず。そんな中、京都の五条にあるお店で修行の機会をつかむのでした。

修行を終えた2022年、京都市内での開業を模索しましたがうまくいかなかった時に「気晴らしに宮津に」訪れたリカルドさんとミオさん。食材の豊富さと飯尾醸造のこと、そして「西入る」となるこの場所(飯尾醸造のイタリアンレストランアチェートの隣)が空いていることなどを聞いたのでした。
2泊3日の行程の最後の日、飯尾社長と会ったリカルドさんご夫妻。建物の様子は前日に見ることができ、それはリカルドさんの「思い描いていたそのものだった」と言います。そうして社長とのお酢の蔵の案内が終わると「赤酢(富士酢の原料の酒粕を長期熟成させたもの※非売品)」とコシヒカリで鮨を作ってみてください」と社長。リカルドさん達の気持ちはかたまりました。2ヶ月後には移住、その2か月後には開業に至るのでした。

リカルドさん(右)とミオさん(左)

リカルドさんがこだわったカウンターの魅力について伺いました。

「カウンターで向かい合っていると、お客様に美味しいと感じていただけているのかどうかすぐに分かるので緊張感もあるけれど、このスタイルを選んで良かった」と言います。「最初はどんなものが出てくるのかとお客様も緊張しているけれど、お料理が重なるにつれてリラックスされて、最後には美味しいと感じていただいたことがダイレクトに伝わってくる」のだと。

「美味しいを共有できる空間であることが何よりだ」とも。

鮨割烹「西入る」店内

宮津の魅力は鮮度の良い魚介が水揚げから数時間で入ってくること。週に2〜3回は漁港へ仕入れにも行くそうで、都市部では考えられないこの環境は、料理人にとってはこの上ない魅力だとリカルドさん。「この場所で私たちが『西入る』を続けることで宮津の良さ、食材の良さを広めていきたい」と話すリカルドさん。宮津と富士酢に出会ったことで「何よりこの地域が大好きになったのです」と、碧い瞳が笑いかけてくれました。

(聞き手:京近 淳 撮影:中井 由紀)

リカルド・コモリさん、ミオさんご夫妻

西入る 料理人

リカルド・コモリさん、ミオさんご夫妻

器などにもこだわり料理を文化として見せてくれる。もしかすると日本人以上に日本のことが好き? 小さな空間から無限の世界へ誘ってくれる。彼の手から生み出される料理の魔法にかかってみては。